先日、祖母が逝去し葬儀も無事終わりましたが、コロナとあって家族葬で、更に限られた身内のみと、こじんまりした感じの葬儀でした。
葬儀ができ参列できただけでも、今は良いのかもしれません
こんな形で久々に祖母と対面しましたが、話しかけても当然返ってくる言葉も無く
できれば100歳のお祝いで会いたかった
祖母は、お腹の中にいたときから数えると100歳
一般的には長寿
ただ何歳であろうと、亡くなってしまった喪失感は、変わることはありません
ふと100年前はどんな時代だったのだろうと、少し調べてみることにしました。
2021年→1921年
元号は大正10年
大正10年で主な出来事
11月4日 - 原敬首相、東京駅で暗殺
時代背景的に暗いニュースが多い時代
小学校入学は 1928年4月 昭和3年4月
6月4日 張作霖爆殺事件「奉天事件」
この時すでに太平洋戦争が近づいている感じがします。
中学校入学 1934年4月 昭和9年4月
3月21日 函館市で大火 24,186戸焼失 2,166名死亡
高校入学 1937年4月 昭和12年4月
11月12日 日本軍 上海を占領
高校卒業 1940年3月 昭和15年3月
6月3日 ドイツ空軍がパリを空襲
加古隆さんの「パリは燃えているのか」のメロディーが頭の中に流れてきます。
来年の12月には太平洋戦争に突入
太平洋戦争は1941年、祖母は二十歳前後のときに戦争を経験しているようです。
その時の様子を詳しく伺う機会はあまりありませんでしたが、子供のときに田舎でも空襲警報が鳴ると地下の納屋に隠れたなど薄っすらと聞いたことがあると思います。
祖父は約20年前に他界していますが、その祖父は戦争に行き無事帰ってきたものの、戦争について語ることはありませんでした。
ただ母からのまた聞きでは、さっきまで話していた隣の人が、銃弾などで死んでいったとのことなので、常に死と隣り合わせの状況であったことは間違いないと思います。
いずれにしても、激動の昭和のまっだった中を生きた人生でした。
さて僕の長い夏休みをタイトルにしていますが、何でそんなに長いのか
小学校低学年の時に、周防大島(私の通称は山口の田舎)に家出をしたことがあります。
何が気に入らなくて飛び出したのか、まったく覚えていませんが、なぜか山口の田舎を目指して、自宅から広島の横川駅まで歩いて行き、そこから電車に乗り大畠駅からバスに乗って、田舎の家まで歩いて
そこから約2週間くらい田舎に滞在していたことを覚えています。
田舎はミカン農家なので、ミカンの収穫?を手伝ったり(邪魔)畑で四つ葉のクローバーを探し、まだ実家にその本が置いてあるか探していませんが、宮沢賢治さんのよだかの星に、その時に見つけた四つ葉のクローバーを、2つはさんだ記憶があります。
※夏は本格的に、ミカンは収穫しないはずなので、少し季節が違うのかもしれませんし、早生ミカンの収穫だったのかはっきり覚えていません
祖母の死
田舎に行くと
その時から、身体は帰っても心はそこに居続けず〜っと家出をしていた感覚が祖母の死により
その田舎の敷居を、再びまたぐことは今後ほぼなくなるのだろうなぁと思うと
ようやく自由奔放であった家出が終わり、自身の置かれた状況をよく考え、今後来るであろう両親の介護など、そろそろ本気で考え備えないといけない時になってきたのかと
祖母の死は、自由であった長い心の家出(夏休み)が終わった瞬間でもあったと思います。